04 私と家族と人形と
ロマンティストでムード派の私は「夢見る夢子」と呼ばれ、両親から「いくつになっても子どもみたいで困ります」と言われながら、この歳になってもまだ夢は持ち続けているのですが、私の家族は少々風変わりな現実離れした一家でした。
両親は当時としてはめずらしく、休みになると家族を連れてタクシーで食事へ、買い物へと出かけていました。「毎日の生活を大切に楽しく」をモットーに、たいへんモダンな考えを持ち、私たち兄妹を、お洒落感覚を忘れずに育ててくれました。
兄は絵を描き、ピアノを演奏し小説も書いていました。妹は音楽に熱中し、私は人形づくりにと、それぞれの夢に向かって過ごしていました。一家は皆、夢見る夢子の私と大差のない人々の集まりだったのです。
「夢見る夢男」の兄は早くにこの世を去りましたが、兄の孫兄弟は東大を卒業、孫娘も学習院を出て外交官に嫁ぎそれぞれ兄の夢の道を進んでいます。残念ながら妹も他界しましたが、娘がピアノと歌の教師になり、孫娘も芸大の声楽料を卒業し二期会で活躍中です。そして、人形美術協会で共に歩んだ私の主人も、夢多き俳句をたくさん残しています。
私のつくる夢見る夢子にふさわしい夢多き人形たちは、美しいものが大好きだった両親と兄妹、そして、夫の感性を受け継いでいます。
主人とは人形で結ばれ、家族とともに人生の大半を人形と過ごせた私は幸福のひと言です。これからも家族の思い出とともに、人形と二人連れの毎日です。
モダンな考えを持った父
いつもおしゃれな母
博学多才な兄
音楽好きな妹